「隣の芝生は青い」の意味とは?他人が羨ましくなる原因と抜け出す対処法

「隣の芝生は青い」の意味とは?他人が羨ましくなる原因と抜け出す対処法

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SNSに流れるはなやかな日常や、同僚の昇進。他人の人生が輝いて見えるほど、自分の足元が暗く感じてしまうものです。そんな「隣の芝生は青い」と感じる心理メカニズムを解き明かし、比較の連鎖から抜け出す方法をご紹介します。自分らしい幸せの基準を見つけ、心おだやかな毎日を送るための一歩を踏み出しましょう。

※本記事の内容は公開日時点の情報となります。法令や情報などは更新されていることもありますので、最新情報を確かめていただくようお願いいたします。

「隣の芝生は青い」とはどういう意味?

まずは「隣の芝生は青い」ということわざの意味、そして語源を解説します

1. ことわざの意味

辞書によると「隣の芝生は青い」とは、自分の持っているものよりも他人のもののほうが理由なく優れているように感じてしまう気持ちを表すことわざです。
つまり「実際には自分の持ちものも十分に価値があるはずなのに、なぜか他人の状況ばかりが魅力的に見えてしまう」という心理状態です。客観的な良し悪しではなく、あくまで「自分の目にはそう映る」という主観的な羨ましさを伝える際に使われることわざだといえます。

2. 「隣の芝生は青い」の語源

この言葉は、英語のことわざ「The grass is always greener on the other side of the fence.(垣根の向こうの芝生はいつも青い)」が由来となっています。自分の庭は近くで見えるため傷んだ部分が目につきますが、隣の庭は柵越しに斜めから眺めるためきれいに見える、といった見え方の違いから生まれた表現です。このことわざが日本語に取り入れられ、「隣の芝生は青い」という言い回しとして定着しました。

隣の芝生が青く見えるのはなぜ?

他人の暮らしが眩しく見えて落ち込むのは、あなたが弱いからではありません。その背景には、実は次のような心理的なメカニズムが隠れているのです。

1.自己肯定感が低く、自分に自信がない

まずは、自分に自信が持てないことが、他人がまぶしく見える大きな原因の1つです。自信がないと自分の価値を低く見積もる一方、他人の欠点や努力を見落としがちになるため、他人の状況を必要以上にすばらしく感じてしまう「心の歪み」が生じます。まるで自分だけがデコボコの道を歩き、他人は舗装されたきれいな道を歩いているように錯覚するようなイメージです。

2.他人の「良い一面」しか見えていない

他人の生活の「切り取られた最高の瞬間」だけを、自分の日常と比較してしまっている方も多いかもしれません。これも「隣の芝生が青く見える」原因の1つです。
特にSNSでは、だれもが一番輝いている場面を発信するため、それを見た私たちは「みんなは幸せなのに自分だけが地味だ」と感じがちです。舞台の照明が当たっている所だけを見て「いつも輝いている」と勘違いしてしまうのです。

3.自分の現状に満足できていない・目標がない

今の生活や仕事に「パッとしないな」と感じていたり、目標がなかったりする場合も、他人の暮らしがキラキラして見えやすくなる原因の1つです。
進むべき方向が定まらないと、毎日に手応えを感じられず、自己評価もじわじわ下がっていきます。そのため自分が「低い場所」にいるように思え、他人の良い面ばかりが目に付くようになるのです。「隣の芝生が青く見える」のは、他人が特別恵まれているからではなく、自分の目標が定まらなかったり、現状に満足できていなかったりすることで、足元が見えにくくなっているからかもしれません。

4.無意識に他人と比べる癖がついている

競争社会のなかで育つと、「人より優れているか」を基準に自分を評価する思考が、いつしか無意識のうちに癖になっていきます。他者と比較される経験を重ねるうちに、他人を見るたびに自動的に「勝ち負け」で判断することもあるでしょう。勝っている部分は「当たり前」として素通りされ、負けている部分だけが鮮明に目に飛び込んできます。そのため、自分が劣ると感じた瞬間だけが積み重なった結果、隣の芝生が青く見えてしまうのです。

「隣の芝生が青く見える」と悩んだときの対処法

他人のほうが楽しそう、得してそう。そう感じるたびに心は疲れますよね。しかしこのような「隣の芝生がつい青く見えてしまう」という癖は直せます。今日からできる小さな視点の変え方で、気持ちを軽くしていきましょう。

1.「他人と比べてしまう自分」を否定せず受け入れる

まずは「今、私は羨ましいと思っているのだな」と自分の気持ちをそのまま認めてあげましょう。
他人と自分を比較してしまうのは、人間としてごく自然な本能です。周りを見て自分の立ち位置を確認しようとするのは、おかしなことではありません。ただ、「また比べてしまった」と自分を責めると、余計に落ち込んでしまいます。まずは「比べるのは当たり前」と今の感情を認めてあげることが、前向きな気持ちへの一歩につながります。

2.比較対象を「他人」から「過去の自分」に変える

自信を着実に育てていくためにも、だれかと比べるのをやめて「過去の自分」と比べるようにしましょう。
環境も得意なことも違う他人と比べても、フェアな比較はできません。しかし、自分自身との比較であれば条件は同じです。今の自分を1年前の自分と比べてみましょう。きっと、乗り越えてきたことや成長した部分が見つかるはずです。自分の成長の「小さな一歩」を認めてあげると、焦りが消えて、自分のペースで進むのが楽しくなっていきます。

3.裏側にある「見えない苦労」を想像してみる

「だれしもきっと裏では努力や葛藤を抱えている」と想像してみる習慣を身に付けましょう。
SNSで見えるキラキラした姿は、生活の「ほんの一部」に過ぎません。はなやかな舞台の裏に地道な練習があるように、完璧に見える人ほど人知れず悩み、何かを犠牲にしているものです。だれにでも悩みがあるものだと気づければ、目に見える一部だけを見て落ち込んだり、他人と比べて自信を失ったりすることもなくなっていきます。

4.自分の「今ある幸せ」や感謝できる点に目を向ける

「足りないもの」ではなく「今ある幸せ」に目を向けることも、心をおだやかに過ごすコツです。
私たちは欠けているものには敏感ですが、健康な体や温かい食事、信頼できる友人の存在など、当たり前の豊かさには気づきにくいもの。まずは、すでに持っている宝物を再確認してみましょう。今の環境にある豊かさに注目する習慣が付くと、わざわざ隣の芝生をのぞき込まなくても、自分の生活を心から楽しめるようになります。

5.SNSなど他人を羨んでしまう情報から距離を置く

他人と比べて落ち込むことを避けるために、SNSから物理的に距離を置くこともおすすめです。
SNSは他人の「最高の瞬間」が多く並ぶ場所ですので、眺めるほど自分の日常が劣っているように錯覚してしまいます。心が疲れたときは、スマートフォンの通知をオフにして、散歩や読書など自分の時間に集中してみましょう。短期間でも情報を遮断する「デジタルデトックス」を試すだけで、驚くほど気持ちが軽くなります。

6.自分にとっての「幸せの基準」を再定義する

世間の「こうなれば幸せ」に沿うのではなく、「自分は何に幸せを感じるか」という視点で考えてみましょう。
高収入などの「世間一般の幸せの基準」を目標にすると、実現できていない現実に不満がたまる一方です。それよりも家族との食事や好きな本を読むなど、自分が日常で「心地良いと感じる時間を持つこと」を「自分の幸せの基準」にすることがおすすめです。そうすると、他人を羨む必要がなくなり、毎日の満足感がぐっと高まります。

「隣の芝生は青い」の正しい使い方や例文

心のモヤモヤを解消するヒントが見えてきたところで、改めてこの言葉を日常生活や仕事でどのように使うのが適切なのかを確認してみましょう。正しく使いこなすことで、自分や周囲の状況をより客観的に捉えられるようになります。
先に述べたとおり、「隣の芝生は青い」とは「他人のものは実際よりも良く見えてしまう」という心理を表す言葉です。

【日常生活での例文】
「SNSでキラキラした生活を送る友人を羨んでいたが、隣の芝生は青く見えるものだ。実は彼女も子育ての悩みは尽きないのではないかと想像すると、今の自分の自由さも幸せだと気づいた。」

【ビジネスでの例文】
「隣の部署のほうが自由で楽しそうだと感じたが、隣の芝生は青く見えるだけかもしれない。あちらにはあちらの厳しいノルマやプレッシャーがあるはずだ。」

このように、この言葉は他人を羨む自分を冷静に制したり、物事の裏側を想像したりする際に非常に役立ちます。続いては、この言葉と似た意味を持つ類義語や、反対の意味を持つ言葉についても見ていきましょう

「隣の芝生は青い」の類義語・対義語

「隣の芝生は青い」と似た意味を持つもの、逆の意味を表すものには次のようなことわざや格言があります。

類義語対義語
・隣の花は赤い
・他人の飯は白い
・ないものねだり
・足るを知る
・吾唯足知(われただたるをしる)

では、それぞれ詳しく見ていきましょう

1.隣の花は赤い

「隣の花は赤い」とは、隣の家に咲いている花は自分の家の花よりも鮮やかで、きれいに見えることを表すことわざです。
意味は「隣の芝生は青い」と全く同じで、他人の持ちものや状況が、実際よりも魅力的に感じてしまう心の動きを例えています。自分もきれいな花を持っているはずなのに、つい他の花の赤さに目を奪われてしまうのは、昔から変わらない人間の性質だといえるでしょう。芝生が「花」に変わるだけで、ぐっと身近に感じられることわざです。

2.他人の飯は白い

「他人の飯は白い」とは、他人が食べている白いご飯は、自分のものよりおいしそうに見えるという意味のことわざです。
こちらも「隣の芝生は青い」とほぼ同じ意味の類義語であり、自分の手元にある幸せにはなかなか気づけず、他人の状況ばかりが立派に感じてしまう心理を指します。お腹が空いているときに隣の人が注文した定食が豪華に見える感覚に近い、日本ならではの共感しやすいことわざです。

3.ないものねだり

「ないものねだり」とは、自分には手が届かないものや、持っていないものを無理に欲しがってしまう心の状態を指す言葉で、「隣の芝生は青い」と近い意味を持っています。
例えば、背が高い人は「低くなりたい」と思い、低い人は「高くなりたい」と思うように、人は手に入らないものほど魅力的に感じてしまうものです。今の自分が持っている宝物に気づかず、外ばかり見てしまう切なさを表現した言葉でもあります。

4.足るを知る

「足るを知る」とは、今の自分の状況に満足し、自分にとっての「十分」を理解する心の持ち方を指す格言です。
「隣の芝生は青い」の対義語として、他人の基準で欲張るのではなく、自分に備わっている幸せを再発見する大切さを説いています。外側に答えを求めるのをやめ、身の丈に合った満足を知ることが、人と比べないおだやかな生き方の指針となります。現代でも広く知恵として親しまれている、普遍的なメッセージといえるでしょう。

5.吾唯足知(われただたるをしる)

「吾唯足知」は、「足るを知る」の教えを「私(吾)」の決意として深めた禅の言葉です。
京都・龍安寺のつくばいに刻まれていることでも有名で、単なる知識ではなく「私は今あるものだけで十分に満たされている」という悟りの境地を表現しています。物理的な豊かさよりも「満足できない心」こそが貧しさであると説き、自分の内面から豊かさを引き出す修行的な側面を持ちます。自らの心を整えるための、より精神性の高い誓いの言葉だといえるでしょう。

まとめ

SNSや周囲の成功を羨んでしまう「隣の芝生は青い」という心情は、だれにでも起こりうる自然な反応です。なぜなら、近くの自分の芝生はアラが目につき、他人の芝生は良い面だけが見えやすいためです。背景には自己肯定感の低さ、自分に満足していない気持ち、比較の癖などが関係しています。

ただ、隣の芝生が青く見えてしまうという心理現象が続くと心が疲れてきます。対策として、まず羨ましい気持ちを否定せず受け止め、比べる相手を「過去の自分」へ変えてみることから始めてみましょう。輝いて見える他人の隠された苦労を想像してみたり、SNSと距離を置き、自分の幸せに目を向けたりすることも大切です。そして「足るを知る」の精神で情報を取捨選択し、自分らしい幸せを再定義してみましょう。隣の芝生の色より、自分の庭の豊かさに気づくことが、おだやかな毎日への近道です。

※本記事の内容は公開日時点の情報となります。
法令や情報などは更新されていることもありますので、最新情報を確かめていただくようお願いいたします。

是枝花名子(これえだ かなこ)
FPライター。大学卒業後、大手生命保険会社にて法人営業を担当。住宅ローンの繰り上げ返済、子どもの教育資金や老後資金作りを極めるため、改めてFP技能士を取得。専門知識と主婦目線を活かした記事執筆が好評を呼び、現在は主にメガバンク、大手不動産サイト等にて保険・不動産・翻訳ライターとして活動中。2級FP技能士、年金アドバイザー3級

記事提供元:株式会社デジタルアイデンティティ

~47Life編集部からのコメント~
つい誰かと比べてしまい、気持ちが沈んでしまう日もあります。そんなときはつい隣の芝生が青く見えてしまうものです。
もし、隣の芝生が青く見えたときは、外に向いていた目を、少しだけ自分に向けてみてください。
自分の小さな変化や積み重ねに気づけるようになると、見えてくる景色も少しずつ変わっていくはずです。